北谷町の自然・歴史・文化
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米やタイ米を買わざるをえませんでした。このような状況ですから米を常食どするこ-qゆみ一日一食は雑炊でお祝いや折目どは、当然あリえません。ただし、(祭リ)の日には豚肉や豆の入った炊き込みご飯を食べます。やはリ、さつまいもが主食で大きな鍋て一日分のいもを蒸しておくのが主婦の大切な日課の一つでした。いもは皮をむいて食もべ仁るでの漬三がL -て般練ね的リて、Lたが大きさによっては皮をむいて小さく切ってから煮て、L やンムニl(いも練リ)にして食べるこどもあリます。ヨモギ、ンジャナ(ホソパワダ副食は、キャベツ、大根、人参、かぼちゃ、苦瓜、ン)などの野菜や野草を利用したお汁、妙め物などが中心でした。肉類どしては豚肉が中心て、まれに山羊や鶏を食べましたが、牛や馬を食用にするこどはほどんどあリませんでした。北谷町では、正月用の豚を旧唇一二月二七日前後に一斉に屠殺解体Lね.51Lた。その日は豚の血を利用Lたチィlイリチャl(血沙め物。大根・人参・葱などを豚の血で妙めたもの)を仏壇に供える習慣があリ1Lた。屠殺解体した豚は、塩漬けて保存され行事の時に利用されました。豚はむだなく全てが活用されてゾlキ汁、豚肉汁、中身の吸い物や妙め物、アシティビチ(豚足)、(まな板肉)、マルチヤジシチィlイリチャl、耳皮刺身など多彩に料理されます。くらしの移り変わりω戦後の食生活戦後はアメリカの占領によリ、米国製の缶詰や冷凍の食料品などが出廻リ、食生活般も欧米型に一変しました。昭和三0年代に始まった学校てのパン給食の普及は、家庭へのパン食導入に拍車をかけました。朝食にトースト+タマゴ・ハム十牛乳(コl胆圃.:戦争中の食べ物113

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