北谷町の自然・歴史・文化
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に判断を委ねるこども見受けられます。また、本町には日本本土にその源流が求められるどいわれているビジュルピてい(んかんていH7かんせいてい〈ん(土帝君)、関帝王(関聖帝君)れいぜ2J(霊石)や中国からもたらされたトゥlティlクンなどのような沖縄以外の地域からもたらされた信仰も分布しています。戦後は、キリスト教の布教て民間地域に教会が数軒建つなど、町民の信仰に対する考え方も次第に変化してきています。日常生活の変化つに数えられたチャタンタ1ブンクヮいざリび西側は慶良聞の島々が遠望され夜になるどあちこちて漁火が点灯しじ内んのうそんられんいて幻相心的な光景をみせる東シナ海に面するのどかな純農村地帯てLた。戦前の北谷町は、沖縄の三大美田の(北谷田圃)が広がリ、ほどんどの町民が早朝から夕暮れまで、田や畑に出て農作業をするのが日々の生活てした。戦前の北谷町ての典型的な農家の一日を時間を追ってみるど、次のようになります。-午前五時頃・・・・:・:・:起床。家畜の餌ど小屋の掃除、家畜用の草刈リや水汲み。曲辰具の準備。くらしの移り変わり-午前六時頃----JJ・-朝食(ンティ、こティムン・アカチチムン。蒸したさつまいもどお茶)。農作業へ。〔・午前九f)一O時頃帰宅。朝食(雑炊)。農作業へ〕-午後二時頃::・:::帰宅。昼食(ヒルマムン・アシパン。さつまいもど豆腐や素麺、野菜の味噌汁、山芋のてんぷらなど)0昼寝。ビジユル0・自然石を洞穴や石のほこらに安置し、それをご神体として豊作・豊漁・航海安全・子掻け家族の健康・雨乞いなどを祈願します。北谷町には謝苅、藁江ヌ前、桑江ヌ後、上一勢頭、砂辺などにあります。土帝君・中国の土地の守り神様「土地公」一七世紀末に大嶺親方が中国から持参して旧小緑村大嶺に配ったのが初めとされます。北谷では、上頭勢(喜友名家)、砂辺、北谷(山川家)、玉代勢(桑江殿内)で配られています。祭日は旧二月二日です。の神像を、かんう関帝王・:中国三国時代の武将「関羽」が死後に神格化され、一七世紀初めになるうや苦と関聖帝君の神名で敬いました。関帝は関聖帝君を省略したものです。沖縄では、一七世紀末には久米村に安置されたといわれています。北谷では、北谷ノロ殿内や根家などの床に関帝王の掛軸が飾られています。三大美田:太平洋戦争前の沖縄県の代表的な田圃をいいます。国頭村の奥間田園、名護市の羽地田園、北谷町の北谷田聞の三つの田園をさします。111

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