北谷町の自然・歴史・文化
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便所などにさしました。また、左縄(ヒジャイヂナi)を作りそれに骨をL町立わっ吋、村落の出入口にあたる場所に注連縄のように張リ下げました。砂辺てはウシナl(地名)て牛を殺し、内臓はその場て料理し村人全員て食べました。血や骨は他の村落ど同様に家の門や便所にさLたリ、左縄に骨を張りつけ、村の出入口に張リ下げーした。現在は、牛や豚の血や骨を家につけたり、つリ下げるこどは行われません。ニノグヮチ・二月ウマチl:・前年に種まきLた麦の穂が実を結ぶころに行われる、麦の初一五目前後の行事。麦の穂(三本または七本)をノロ殿:穂、内手祭やリ各の才享こ所ピにてイ共、えノロを先頭に神人たちが麦などの豊作ど村落の繁栄』えは、Mを祈願します。行事の期間中は肥運びなどの農作業はもちろんのこど、針仕事さえも禁仁られました。-ニングヮチャl--田植えや製糖などを終えた二月初めに行なわれる慰労の宴(腰休め)・クシユyクイども呼ばれます。ムラヤ1(村事務所)や広い家などに村落民が集まって酒宴をひらさ、三味線や歌、で、クシユクヮlシ踊リなどで遊びました。神人たちは久ロ拝所を廻って農作物の豊作を祈願します。この行事は砂辺にはなく、五月にクングヮチャーがあリます。-レ」、/者り、/春ど秋の年二回、それぞれ彼岸入リ後に行われる祖先供丸餅や菓子、揚げ豆腐、蒲鉾、昆布、豚肉などを盛り合わせた〔彼岸〕養の祭り。年中行事重箱ど酒・花米・線香を仏壇に供、之、ウチカビ(紙銭)を焼いて祖先を供養します。注連縄・腫除けや清浄な区域を示すために張り回らす綱で、左ねじりに巻いて三・五・七の筋に藁の端を垂らします。産室や村落の出入口などに張ります。村落の察記をつかさどる最高の神人で、ヌルまたはヌーんと呼ばれます。ノロは独身だったという伝承がありますが、娘が姪が跡を継いでいるのが多いようです。王府時代、ノ口は神衣装や勾玉〔まがたま。首にはく玉〕、辞令書の他に土地(ノ口地)などが与えられました。ノロ「祝女ウチカピ「打ち紙)・藁なとを原料にした黄色紙に銭型をつけた紙銭のこと。力ビジン、ンチャビなどとも呼ばれ、死後の世界での通貨と信じられています。101

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