北谷町の自然・歴史・文化
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くらしと文化地て入人'+1) 村三の落ジてユIi I ン(雑炊)をつくって火の神や仏壇に供えます。北谷町のこの日に正月の飾リ物を片付けます。-トゥシヒー〔生年祝い〕個人の生まれた年ど同じ干支の年(生まれた年)の正月最初の同じ干支の日に祝う家庭行事のこど。数えて一三歳、二五歳、三七歳、八五歳に祝いますが、特に女子の四九歳、六一歳、七三歳、歳祝いは実家ての最後の祝いどLて賑やかに祝宴をひらきます。7ンョizJ177千「後生の正月」ンユ|ルクニチ〔一六日〕ども呼ばれる行事て、死一凡又p--《判川1IL,者、が出て初めての一六日を:lジュールクニチ(新一六日)あるいはご、lサ(新仏)どいわれます。沖縄本島北部や周辺離島、先島(宮古・八重山)ては清明祭よリも一六日墓参が一般的てす。沖縄本島中南部ては、清明祭が定着していて、北谷町て一六日墓参は、こlサの場合に限られています。も、こ、lサに限リ一六日に墓参が行われます。ハチカゾlグヮチ〔ニO日正月〕-J-・・:北谷町てはウワイゾ|グヮチ(終わリ正ヤードゥイ正月の終わリの行事てす。上勢頭や平安山ヌ上など屋取月)どもいわれ、村落ては、この日に正月の飾リ物を片付けます。月品:之-Pば」つ・島クサラシ・村落全体の悪疫払い北谷町ては(悪い流行病)の行事て、カンカi」どもいいます。字北谷、玉代勢、伝道ては二月一日に、浜川、平安山ては二月二日に豚を殺し、血は植物の葉や枝につけて各家の門や軒、100 こ各地人で形成する村落のこと。農村地域に在住する古くからの田舎百姓のことを地人と呼んで、士族の農村地域">拘』への移住者〔居住人(チジュー二ン))と区別します。寸一炉Fてゆ一八世紀初め頃、首里・那覇の士族が農村地域に移動し形成した村落のこと。屋取は貧乏士族が田舎に下り、しばらく農家に身を寄せ、そこに「宿った」ことから来た言葉だといわれています。

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