北谷町の自然・歴史・文化
117/290

民俗f王fA 自E工イサー沖縄本島やその周辺離島て広く行われている民俗芸能のひどつにエイサーがあリます。特に中部地区はエイサーが盛んなところで、私たちの北谷町のエイサーはテンポの速さや、動作が機敏なこどで県下に知れ渡っていて、お盆の頃になるどわざわざ他の市町村からもエイサーを見物に多くの人が集まってきます。皆さんも一度は見たこどがあるのてはないでLょうか。エイサlどいうのは、毎年旧暦のお盆に、祖霊供養のために行われる、盆踊リのこはやLど盛んに曜子を掛けるどころからそう呼ばどて、踊るどきにヱ二イサコニイサれていて、お盆のこどを沖縄の方、一一一口、てシチグヮチ(七月)どもいうこどから「シチグヮチコ二イサども呼ばれています。どころて、エイサーがいつ頃から沖縄にあったのかは定かではあリません、が、ねんぶつ?たエイサlの歌詞の中に、念仏歌に似た詞があるこどから、お盆に行われるこどや、仏教の民俗芸能伝来ど大きくかかわっているど考え、サれています。/ぜんかん琉球へ最初に仏教が伝来したのは、一三世紀の中ごろ禅鑑どいうお坊さんが、から中国へ修業に向かう途中、船が遭難し沖縄へ漂着Lて、そのどきの琉球国王てあっ乏いそいわっえいそいわううLっそ~之「す〈こ〈句〈じた英祖王の加護を受け、英祖王の居城の浦添城の西方に極楽寺を建立Lたのに始まる日本どされています。民俗芸能;長寿や豊作祈願、悪霊除けなどのために、わたしたちのくらしの中から生まれてきて伝承されている芸能のこと。祖霊供養J祖先に供え物を上げて、その冥福をいのること。一六OJ一一一丸九);浦添に勢力をもった恵祖の子で、母親か太陽の英祖王(一夢をみて妊娠したことから恵祖のテタの子といわれています。極楽寺.,火災で焼失しましたが、五年に尚円王が浦添村に再建し「天徳山龍福寺」へとしました。一六O九年の島津侵入の時に焼かれましたが、尚寧王によって再建。一九一二年に泡瀬(沖縄市)に一四七移転しました。91

元のページ  ../index.html#117

このブックを見る