北谷町の自然・歴史・文化
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た「軍用地問題」のような、異民族の支配下にあるために生ずる問題がつぎつぎど起こリ、沖縄の人々の祖国復帰を願う気持ちが次第に強くなっていきました。その気持ちを結集して一九六O年四月二八日には祖国復帰協議会(復帰協)が結成され、祖国復帰運動を展開L1Lた。講和条約発効の日の四月二八日を「四・二八沖縄返還デl」ど位置づけて「復帰要求県民大会」や「復帰促進国民大行進」、本土ど沖縄を分ける二七度線洋上ての「海上集会」などが毎年行われ、次第に復帰の気運が高まってきました。ついに一九六九年一月二一日に佐藤・ニクソンの「日米共同声明」て沖縄返還合意が公表され、・一九七二年五月一五日に沖縄の祖国復帰が実現、新生沖縄県がスタートしました。町制の移行戸、一九七二年の祖国復帰後部分的な軍用地返還が実現したので、北谷村は返還軍用地を有効利用する形て道路や村営住宅建設、さらに桑江海浜の埋立てなど社会基盤の整備ど村内諸地域の活性化のために、様々なプロジェクトを積極的に推進しました。このような施策が効を奏して、村内人口も増加し、産業活動も活発になって沖縄県条例に定める「町」の要件を満たすまでに発展Lました。そこで、村当局は「北谷町戦後のようすの基本構想」を策定L、「豊かで・明るく・住みよい、商業・観光・住宅都市」の将来像を掲げて町制移行するこどを打ち出し、村議会の議決をへて一九八O(昭和五五)年四月一日「北谷町」が誕生しました。町昇格記念祝賀行事は、同年四月一日から六ゅう日までのおよそ一週間にわたリ、「古典芸能の夕べ」を皮切リに書道・写真・盆栽展そこ〈ふヮきしんせいおきなわけんたんじよう祖国復帰式典=新生沖縄県誕生日本共同声明・・一九七O(昭和四五)年二月二一目、当時の佐藤首相とニクソン大統領の閏で行われた沖縄返還突渉の結果を公表した声明で、[沖縄は、両三年以内に日本に返還される」ことが明らかにされました。古典芸能のタベ:北谷町に移行したお祝い行事の一環として、昭和五五年四月一日午後六時三O分から九時三O分まで、町内の古典芸能愛好会のメンバーにより琉球古典音楽の合唱や独唱、琉球舞踊のほか組踊り「花売りの縁(森川の子こなどが披露されました。83

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